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クリスマスに向けてリースを作った。
枠は去年も使ったものを取っておいた。
ブドウのツルを水につけ柔らかくして円にしていく。教会学校のお手伝いをした時に作ったもの。自分の知らないことを学んだり、聞いたり、教えてもらったりするのはとても楽しい。
このリースの枠を作るのもとても楽しかった!
教会は世代を超えての交流が魅力的。
世間では、自分を中心に上下20歳ほどの交流がせいぜいといったところだろう。
でも、教会は下は赤ちゃんから上は90代までの幅広い交流が可能で、教えられる事が多い。
若い人もいろんな事を知っていて話してると楽しい。
話をリースに戻して…
今年はどんな飾り付けにしようかと思いながら、結局去年と同じアジサイにした。
我が家のアジサイは義母が毎年管理していたけど、アジサイに毒がある事がわかり、そのせいで肌が荒れる事が判明し、長年悩まされた肌荒れの原因となるアジサイを切ってしまったのでない。
(肌荒れになったのは義母だが、去年より花を摘み取る役が私になり、私も肌が荒れた。)
車を走らせながら、ここのアジサイは大きさ、色ともにいいと思うものがあっても中々摘み取る勇気がなく、どうしようかなぁ、と思っていたら、妹の家の庭に丁度いいアジサイがあり、もらう事ができた。
ツルウメモドキも人から頂き、朱色の粒がリースを華やかに飾ってくれた。
来月の日曜日は第1アドヴェント。
そして、第4アドヴェントは25日。
クリスマスが丁度日曜日!
世の終わりなの⁈ と思うような事件やニュースが相次ぐ昨今だが、私たちの罪のためにこの世に来られたイエスに思いを馳せ、静かにこのアドヴェントの時を過ごしたいと思う。
今日も一日お疲れ様でした!
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今年もあと残りわずかとなり、年頭に掲げた今年の To doリストを達成すべくラストスパートをかけている。
そのせいで何だか毎日追われていて、ブログの方がご無沙汰になってしまった。
今年の収穫は手仕事の楽しさを知った事。
手を動かしている時間はとても幸せで、豊かな気分になる。
何を作ろうかなぁ、と考えている時間も好き。
時間をかけて作った物を眺めるのが好き。
それを使うのも好き。
写メを撮り忘れたけど、空いた時間を使って和柄の刺し子を2ヶ月くらいで2枚刺した。
麻の葉模様と重ね枡の柄。
麻の葉模様はかなり難しかったけど、要領をつかめたのでまた刺してみたい。
バザーに出したら2枚ともすぐに売れちゃった!
それから洋裁教室にひと月通ってみた。
少し遠いので通い続けるのは難しいのだけど、母の服を縫いたくて思い切って行ったところプロにかかるとすぐに服なんてできちゃうのね〜。びっくり!
先生の言う通りに縫うと服はできたけど、自分で作った感が薄くて自分で一からできるようになるには…って事を考え中。
初夏に漬けた梅干しも美味しくなっててすごく嬉しい!
こんな小さな幸せを見つける事のできた今年は充実した年だった。← 過去形だけど、まだ40日ほど残ってますけどね…💧
家の片付けも掃除もそこそこできたし、服の断捨離もした。細々とした片付けは残ってるけど、それはおいおいやっていこう。
m3000円もしたリバティの生地を3mも買ってあり、その生地で自分のワンピースを作るのもリストに入っているので、何とかしなきゃ‼︎
年末になると雑用が増えるから無理かなぁ〜
クリスマスプレゼントにお友達に毛糸で編んだ小物入れを作りたいけど、ちと時間が足りないかも… これもラストスパートで頑張ってみるかな。
今日も一日お疲れ様でした!
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書きたい事はたくさんあるけど、的を絞って文にできないので思いつくまま…
9月の終わりに京都へ行った。一泊の慌ただしいものだったけど、京都に住む子どもにもスケジュールを合わせてもらって行動を共にした。
夏に帰省した際、今までの子育てについてや夫婦の事に関して激しく私のことを非難して、夢にも思ってなかった事にひどく動揺した。
悲しくて、悔しくて、情けなくて、泣きたいのを堪えて非難を受け止めた。
この京都旅行の時にも、夜に一緒に飲んだ時に私への非難を言い始めた。
よく考えてみれば、手のかからない育てやすい子どもだと思ってきたけれど、子どもの中ではいろんな感情が渦巻いていたんだ… 吐き出せないまま時が流れなくて、今、私にぶつけられるのはいい機会だと素直に思えた。
大学4年の今、就活はせずにやりたい事に向かって進むと言う。心からの応援ができない私の心を見透かして、お母さんは賛成してないよね、と今でも私の同意を得られない事に苦しんでいる様子…
私も一応親だから、将来食べていけるのか心配してるんだよ。
この気持ちは子どもには届かない…
10月の初め、懐かしの広島へ出かけた。
ほぼ30年ぶりだろうか。ほんの8〜9年しか過ごしていない地だけれども、私にとっては第2の故郷。昔住んでいた場所にも行ってみた。
すっかり風景は変わってしまったけれども、確かにそこにいた、と思える風景に出会い、感動してしまった。当時仲良くしていたお友達の家がまだあった事に驚き、また、来て良かったと思った。
直前に台風がきていてどうなることかと思ったけれど、晴れ女の私はこの旅行中すべて晴れさせて(?)皆を喜ばせた。
平和公園、私の幼き日の遊び場だった。
家から歩いて行ける距離で、よく遊びに行った。その当時の家がまだあって本当に懐かしく思った。久しぶりに見た原爆ドームが小さく見えたのは、周りの景色が変わったせいか…?
呉の大和ミュージアムにも行き、当時の海軍兵の働きを見て、この事は後世に伝えるべき事だと感じ、また、わずか20〜21歳で戦死した方々を思うと涙が滲んだ。
私がもう少し若かった頃は兵士自身に感情移入していたと思うが、今は兵士の親に感情移入し、戦争にやるために育てたのではない!と怒りが込み上げてきた。本当に無念だったと思う。
2度と戦争を起こしてはならないと強く思った。
取るに足らない私のような者の日々にも、様々な出来事がある。
私も日々起こる出来事と闘っている。
今日も一日お疲れ様でした!
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昔から素直じゃないと言われてきた。
育つ過程で何が素直にさせない邪魔をしたのだろう…と考えるけど、わからない。
最近、父とよく衝突する。
父の持病について娘としてこうしてほしい、という希望があるものの中々受け入れてはもらえない。父の人生だし、あと何年生きられるかわからないし、好きなようにさせてあげればいいのかもしれないけれど、そう簡単に割り切れずつい口を挟んでしまう。そしてケンカ…
結構ストレスがたまって、妹に父とのやりとりを聞いてもらったりして発散していたけど、ある日妹は、お互いに嫌な気持ちを持って過ごすのってもったいないし、お父さんもお姉ちゃんにいろいろ言われるの面白くないんじゃない?と言った。その言葉を聞いて、私の思いって空回りしてるんだ… と感じたし、結局のところ人に愚痴を聞いてもらったところで何の解決にもならない、と感じて誰にも何も話せなくなってしまった。
父との衝突の前に子どもにも私の考え方の歪みを指摘され、すごくショックで、私って欠陥人間なんだ…と落ち込んだ。
私が今悩んでいる事や、苦しんでいる事はどうしたらいいのだろう…?
本当は誰かに話して、ワーッと声を上げて泣きたい。
よく頑張ってきたよね、と誰かに褒めてもらいたい。
妹は言いたい事を私に言った後は、あっさりといつものように接してくるけれど、私は何だか素直になれずぎこちない…
自分の荷物は自分で背負うしかないものね。
誰にも変わって背負ってもらえない…
親の事や、子どもの事、夫婦の事、自分自身の事… 悩みは尽きない。
こんなにいろんな事がうまくいかないのは、良かれと思ってした事が良くなかったって事なんだよね、きっと。
私自身をじっくり見つめ直す機会としてこの苦しみを受け止めて、一人でじっと過ごそうと思っている。
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‘もう一度スターに逢いたい’ というBS11の番組で夏目雅子さんが取り上げられていた。
彼女が亡くなったのは27歳。
当時私は18歳。
下宿先の食堂のテレビで彼女の死を知った。
そんなにファンだったわけではないけど、そのニュースは衝撃的でよく覚えている。
とっても美人で、伊集院 静氏と結婚し、とても幸せそうだった彼女の笑顔が忘れられない。
「買い物へ行っても奥さんって呼ばれるのに慣れないの。ウフフ💕」と お上品に笑って「またね!」と新居へ帰っていく姿はよく報道された。
番組を見ていて色褪せない彼女の魅力に再び虜になり、なぜだか涙が溢れてきた。
彼女が亡くなって30年も経ったんだ…
‘30年’ と一言で言ってもその中身は重くて濃い。
懐かしさと、寂しさと、切なくて胸がキュンとなり…
ゲストの仲代 達矢さんは「僕ももう向こうへいく日が近いでしょうが、天国でも一緒に芝居をしたい。」と言っていた。
すっかりお年を取られ30年という時の長さを感じた。
いい番組を見られて良かった。
与えられた一日一日を大切にしよう。
周りの人を大切にしよう。
今日も一日お疲れ様でした!
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人の一生って何だろう?と思う。
3日前の夜に隣の家に救急車が止まった。サイレンを鳴らさずに来たのでまったく気づかなかったが、たまたま外にいた子どもが知らせてくれた。救急車に運ばれる際はブルーシートで隠されていたそうだが、子どもが隠されていない側にいた為に様子が見えたらしく、ぐったりとした状態で腹部には直接布団がかからないようにする器具(?)が付いていたとのこと。
私が外に出た時にはもう走り出すところであった。
お隣さんとは、と言うか近所の方々とはほとんどお付き合いがない。会えば挨拶をする程度。
子どもが言うには年寄りに見えたというが、お隣には年寄りがいる事はいるがまだ働きに行っておられ元気である。誰が運ばれたのか気になった。
救急車が行ってから2時間後に隣の家に警察が来ていた。そして、その後すぐに我が家にも聞き込みに来た。
隣の娘さんが亡くなった、と言い、最後に見かけたのはいつか? 喧嘩や争い事のような物音、声がしていなかったか? と質問された。
知っている全てのことを話して、最後に私のフルネーム、住所、生年月日、電話番号、携帯番号を聞かれた。
不審死だったのだろうか?
昨日、お通夜があった。
独身の彼女は家計を支える為に二つの仕事を掛け持ちしていたという。
体が弱く働くことの出来ないお兄さんを抱え、働いてはいるものの80に手が届くか、という歳の母親を抱え、自分が頑張らないと!と思っていたのかもしれない。
年老いた母と病弱な兄を残して逝った彼女…
何ともやるせない思いになった。
喪主の挨拶の時、年老いた母は死因については一切触れなかった。
想像するに、発見された時は既に息絶えていたのだろう。過労死なのかもしれない。
いくつで亡くなっても ‘死’ とは寂しさを残すものだけれど、若い人の死はその寂しさが一層増す。
参列者の若い人達は職場の同僚だった人なのか、号泣していた。
合掌。
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暑かった夏も日一日と秋の気配がして、朝夕は過ごしやすくなりべとつかない肌が嬉しい。
蝉よりもこの頃は虫の音が響き渡り、音色からも秋を感じている。
日々の暮らしの中で、「あぁ、今日はいい一日だったなぁ。」と充実感でいっぱいになる日がある。 特別な事があったわけではないけどもそう感じる日がある。
例えば、ずっと作りたかった献立を作れた時。
やろうと思ってたいくつかの用事が順序良くやれた時。
出かけようと思った時に雨が止んで晴れた時。
気になってた所を掃除できてスッキリした時。etc…
今日はトイレの中の手洗い場の水が止まらなくなって一度は修理に来てもらったけど部品が合わず直らなくて、やっと部品の取り寄せができて修理完了。修理を頼んでからひと月は経ってるから終わって嬉しい!
図書館で借りた本を返しに行って、また借りて来られたのも嬉しい。やらなくちゃ、と思ってる一つ一つの事を今日のお仕事としてクリアできるのも嬉しい。
私の幸せは特別な事ではなくて、丁寧に日々を送れる事にあるのだ。
レモンケーキを作ろうと思いつつできなかったのはちょっと残念…
最近、ターシャ・テューダーさんのような生き方に憧れる。実際は思ってるほど楽じゃないとは思うけど、広大な敷地を好きな花や木を植え、自給自足の生活。質素な中にも豊かさがあり、贅沢がある。
いいなぁ。
今日は久しぶりにブログも更新できた。
これも嬉しい。(*^^*)
今日も一日お疲れ様でした!