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週末、泣きたくなるほどの両手首の痛さに悩まされた。
朝起きて布団をはぐるのも痛い…
歯磨き粉のチューブから歯ブラシにつける事もままならない…
トイレに入って下着の上げ下げも痛い…
顔を洗うのも痛い…
着替えも痛い…
何をするのも痛くて気分は沈んだ。
リュウマチと診断されて4年。
すぐに薬を服用したので関節の変形は避けることができたが、服用の量が少ないのかもしれない、とインターネットで検索しながら感じた。
リュウマチに完治はないけれど、寛解という状態が続けば薬を飲まなくていい日が来るかもしれないと淡い期待を抱いていた。
今日は3ヶ月ぶりの定期診察日で、痛かったことを先生に訴えた。
薬を増やさないといけないか聞いたところ、私の場合は増やすと白血球が減少する恐れがあるから増やせないとの事で、違う薬を服用してみることになった。
今までの薬は週に一度の服用で良かったが、今回からは毎日服用。痛み止めも処方され、これは毎食後。結果、薬の量が増えてしまった。
薬を飲むのはなるべく避けたいけれど、痛みには耐えられない。
ひとまず一ヶ月服用して、様子を見ましょうと言われた。
さっそく夕食後から飲み始める。
リュウマチとは仲良く付き合っていくしかないとは思っているけれど、薬局で薬をもらう際に薬剤師さんが、知り合いにもリュウマチの人がいるが、仕事を辞めたら嘘のようにリュウマチが良くなった人がいて環境がすごく影響する病気だと言われた。
どんな病気もストレスは良くないだろうけど、
私もこの一年仕事がすごくストレスになっていて、それが影響しているのか…と考えた。
この一年ずっと辞めたくて、でも辞められず、
それもストレスになっていた。(過去形ではないな、‘いる’ だ。)
身体壊してまで仕事をする必要はない。
人生100年時代の折り返し地点。
元気で老後を迎えるには働き方を変えないといけないなぁ。
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8月は悲しい出来事が多くあった月に感じる。
最も2回の原子爆弾の投下が8月に集中していることも関係があるだろう。
6日は広島の原爆投下日。
一瞬にして焼け野原になって、人々の人生も一瞬にして狂ってしまった日。
9日は長崎の原爆投下日。
多くの人が犠牲になって、今も悲しみをひきずっている。
数百人の命が消えた…
15日は終戦記念日。
毎年、原爆の追悼記念式典の様子がテレビで放送されるけれど、実際に戦争を知っているお年寄りは「この式典も毎年見てるけど、だんだんと形骸化されてきた。」と言っているのを聞いて、戦後生まれの人々には戦争の悲惨さをどれだけ聞いても本当に知ることにはならないのだと感じた。地獄絵図のような状況を見てきた方々のその後のご苦労は計り知れない。
JALの墜落事故にしても然り。
突然の事故によって大事な人を奪われた悲惨さは当事者にしかわからない感情だろう。どのようにして絶望の淵から生活を立て直したのだろう…
事故にしても戦争にしても一瞬にしてその後の人生がガラリと変わってしまう。
小さな事に不満はあるけれど、本当に小さな事なのだろう。
家族が元気でいて、それなりの生活を営めている事はきっと幸せなのだろう。
いろいろなものに思いを巡らせて過ごす8月。
世界が平和でありますように。
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父が歳をとって物忘れが増えてきた。
今のことはすぐに忘れるけれど、昔のことはよく覚えている。
父は海軍の兵隊さんになりたかったそうで、真っ白の制服を着て地元に帰ってきた兵隊さんを見てはあまりのカッコよさに震え上がった、とこの夏 泣きそうな表情で話してくれた。
(‘坂の上の雲’ でモッくんがとても凛々しい海軍の兵隊さんの役をしてるのを思い出して、本当にカッコよくてみんなの憧れの的だったんだろうな、と思った。今の時代、猛烈に憧れの念を抱く事って少なくなっているように思う…)
毎日が日曜日となり、仕事をしていた時のようなキリリとした表情はもはや見られなくなった。
泣きそうな表情になる事は増えて、頑張っている若者の姿をテレビで見たり、幼子の姿を見たりすると途端に表情が崩れる。
これが感情失禁というものなのだろうか?
人は誰でも心の奥底に感情を秘めている。
その感情を表面に出す事は多分そう多くないだろう。それが蓄積されていくとある時に何かのきっかけで溢れ出す。
普段だと何でもない他人からの一言に涙がこぼれたり、きれいな音楽や、景色に感動して涙が出たり…
みんないろんなものを背負って生きていて、なおかつ生活に追われているからそうそう自分の感情に目を向ける暇などないのが現状だろう。
時々は自分とゆったり向き合って、自分自身をかまって故意に感情を吐き出す場を設けるといいのかもしれない。
泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑って、怒りたい時に怒って、楽しい時は思い切り楽しんで、そんな風に自然に生きられたらいいなぁ。
(こんな風に書いたけど怒りだけは遅く…と心掛けてます。)
すごく暑い日が続いていたけれど、今日はほぼひと月ぶりに雨が降って、その途端に急激に気温が下がってとても過ごしやすい日になった。
朝晩の風は秋を感じさせる。
季節はちゃんと巡っている。
久しぶりにぐっすり眠れそう…
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言霊…
言葉には魂が宿る。
思った事を軽々しく口にしてはいけない。
時代には相応しくない考えかもしれないけれど、言葉は慎重に選びたいと常々思っている。
人には、便利な言葉を与えられたけれど、それを本当に使いこなせているのかいつも疑問に思う。
「ペンは剣よりも強い。」
本当にそう思う。
だから、大切に言葉を扱いたい。
私の目標。
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友人のお父さんが5年前に胃ろうになり、施設に入って過ごしていたものの、先月末に高熱が出て病院に入院した。
施設では看取りをお願いしていたそうだが、苦しむ姿に耐えられず治療をお願いしたとの事。
栄養剤を流すと調子が悪くなるようで、水分のみ入っているらしく、痰は絡み、熱も下がらず、もうダメかと思いつつ、2週間程命を繋いでいる状態で、友人の精神状態もあまり良くない。
施設や病院からは状態の変化があると今後の確認をされるらしく、その選択が正しいのかいつも悩むと言う。
もう歳なのだから…と思いながらも目の前にいる父が苦しんでいると治療をしてほしい、と思ってしまうが、果たしてそれが最良の道なのか… ? 治療をすることによって尚、父を苦しめることになるのではないか…?
人の命を自分の選択で終わらせることも永らえさせることもできる畏怖を彼女は常に感じてきたのだろう。
たとえ、延命はしないでほしい、と言う本人の意思があったとしても、やはり目の前の身内を前にして本人の意思を貫く選択ができるのか自信がないと言った。
人がこの世からいなくなる事の重み。
生きていくことの難しさ、辛さを年齢を重ねるごとに思う。
楽しい事はそんなに多くはないのに生きていくって何なんだろう。
病院からの呼び出しで久しぶりに会った彼女は帰って行った。
過酷な現実と向き合って、また悩む選択を迫られるのだろう。
かける言葉が見つからなかった…
彼女が選んだ選択をお父さんも許してくれますように…
そして、彼女自身がその選択を後悔せずに精一杯の事をしたと思えますように…
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またまた手芸熱に火が付いた。
暑くなってきたけど編物に心が動いて、毛糸の入っている袋を見ると編みかけの何かが出てきた。おまけに毛糸同士が絡み、その絡みをとるのに必死になる。いつもだったらイライラするのに絡みがほどけていく過程が妙に快感で、途中で投げ出すことなく、糸を切ることもなくきれいにほどいた。
糸をほどきながら思った事。
案外人間関係のもつれも、こんな風にちょっと絡み合ってるだけで、意外と何かのきっかけでほどけるのかも…と思ってみたりした。
とりあえず何か編みたくてずいぶん前にはやったアクリルたわしを編んでみた。
作ったはいいが自分で使うかはわからない。
手を動かして物が出来ていく工程が好きなのかもしれない。出来上がってから1日は仕上がった作品を眺めて嬉しい気持ちになる。
そして、また次の作品作りに励む。
自己満足の世界…。
私が楽しいと思える時間を過ごす事を大事にしたいと思う。
庭のカンパニュラが咲き始めた。
紫色がとてもきれい!
いい季節になりました。
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手袋を編んだ次に靴下を…と思って、私の頭では毛糸の靴下ばかりを思っていたけど、ネットでいろいろ検索するとソックニッターなる存在を知り、靴下用の糸がある事も知り、ソックニッターさんのブログを見たりし、大いに刺激を受けた。
全然腕もないのに道具から入っちゃう癖があり、靴下用毛糸を買って、靴下編みの本を買って、靴下編みをする為に輪針も買って、としてたら今月の娯楽費がゆうに赤字となり、まだいるものはあるんだけど買えずにとりあえず保留状態となった。
本を見てると何でも作りたくなる。
とにかく手を動かしていることが好き。
ビーズ編みもしたくて糸にひたすらビーズを通したり、クロスステッチをしたり、バックを作るためにジーンズをほどいたり、毎日少しでも何かしてる。 関連性もなく気の赴くままに。
1日の仕事を終えて手芸部屋の椅子に座ったらホッとする。2〜30分から小一時間くらい針を持つと心が安らぐ。
何日も前からしてるのに、あっちへ行ったりこっちへ来たりとブラブラしてるから中々仕上がらず、やっとここまでできたサンタさん。
今日中に仕上げようと思ったけど、目がチョロチョロになって断念。
こんな一人の時間が好き。