私のつれづれ記

日々感じた事を思いつくままに綴っていきます。お立ち寄り下さりありがとうございます。

樹木希林さんの出演映画 ‘日日是好日’ を観てきた。‘万引き家族’ から一転してお茶の先生という役どころ。お着物姿もお似合いで演技というより地のように感じ、とても自然な演技に感嘆した。映画を観に来ていらっしゃる年代は少し高めであり、お茶を嗜んでおられる方が多かったのか、時折笑い転げるシーンもあったりして楽しく観た。

今は亡き希林さん… 映画を観てるととてもそんな風には思えず… 

映画界の大きな損失だとつくづく思った。

 

お茶と人の人生を絡めた映画で、今いろんな映画に引っ張りだこの黒木 華さんの成長をお茶を通して描いていて興味深く観た。季節でお点前も違い、日本家屋の素晴らしさも今更ながらに感じた。雪見障子からみえる庭や、つくばいに流れ落ちる水音。着物を着た足さばきの衣摺れの音。細やかなひとつひとつの音が際立っていた。

 

ほんの一昔前までの日本家屋は姿を消してしまった。我が家にも畳の部屋はないし、雪見障子もない。味気ないといえばそうかもしれない。

 

武田さんのような家にみんな住んでたのにガラリと変わってしまった。

良いとか悪いとかではないけれど、日本独特の良いものが失われるのは少し淋しい気がした。

 

 

約30年前、茶道や華道漬けの毎日を過ごしていた事がある。毎日、稽古、稽古…

上手く生けられなくて悩んだ時に、ちょっと触っただけで激変する先生の手を魔法だと思ったり、暑い夏の日も晒しを巻いて絽の着物を着て来られるお茶の先生に尊敬の眼差しを向けたり、四季折々の季節を肌で感じたり… 

今から思うと、とんでもなく優雅で優美な日々を送っていた。

京都の自然豊かな地に住み、朝は勤行に始まり夜は21時消灯の寮生活。

一年間の勤行で覚えた般若心経は今でも言える。若い脳ってすごいな!

初めてのたくさんの経験をして、今懐かしく思い出される。

 

 

先日はSCOOPというDVDを借りて観た。

2時間がすぐに過ぎてしまう程に引き込まれる映画だった。中年パパラッチの福山さんもカッコよかったし!

この世に存在するどんな人も ‘今’ を懸命に生きている。そんな風に感じる内容だった。

 

そして、今日NHKスペシャルで「イゾラド 最後のひとり」を興味深く観た。

ブラジルの山奥で発見された二人の男性。

誰にも分からない未知の言語で二人は会話し、いつも一緒にいたが6年前に一人は亡くなってしまう。言語学者がこの男性の発する言葉、800程の単語を探り当てたものの会話は成立しない。

誰にも思いを届けることが出来ず、分かち合うこともできないこの男性の胸中はどんなものだろう?  仲間もいなくなり、たった一人になってしまった気持ちはどんなだろう?

私には到底分からないが、複雑な思いで番組を観た。

この ‘アウラ’ と名付けられた男性もまた懸命に生きている。

 

一年間、毎週楽しみに観ていた大河ドラマが今日最終回を迎え、見終わった。

西郷どんも立派に生ききった!

 

‘生きる’ というキーワードが目にする全てのものに感じられる。

 

私はどのように生きようか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の20日美智子皇后が84歳を迎えられ、新聞では、お誕生日前より平成に入ってからの歩みが掲載されていた。

 

美しいお姿で、お優しいお心で、国民と接するお姿を拝見しては、心が慰められてきた。

今年は平成最後の年となり、来年以降は滅多にお二人のお姿を目にすることはなくなるだろう。

 

お誕生日に寄せて語られたお言葉の中に、「皇太子妃、皇后という立場を生きることは私にとり決して易しい道ではありませんでした。」という一文があり、民間から日本一の旧家に嫁がれ、美智子皇后のような方でさえも困難を感じる日々をお過ごしだったのだ、と改めて思いその中でも陛下と共に最善を尽くしてこられ、人々に勇気や励ましや希望を与え続けてこられた事は本当に私などが想像もできない厳しい60年だったのではないだろうかと思う。

 

 

1998年に国際児童図書評議会IBBYの基調講演 ‘子供時代の読書の思い出’ と題して美智子さまのスピーチがテレビで放送された。

ご自身の幼少時代の読書の思い出を語られながら本に対する思いを話されたように記憶している。

その何十分かの講演が終わった時にカメラに向かって優しく微笑まれた。

そのお顔を見た時に涙が出てきた。

どうして涙が出るのか自分でも不思議だったのだけれど、慈愛に満ちた眼差しで微笑まれた時、何かとてつもない優しさに包まれたような気分になった。

 

 

退位の後は陛下と共にのんびりとお過ごしになり長生きしていただきたいと願う。

 

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週末、泣きたくなるほどの両手首の痛さに悩まされた。

 

朝起きて布団をはぐるのも痛い…

歯磨き粉のチューブから歯ブラシにつける事もままならない…

トイレに入って下着の上げ下げも痛い…

顔を洗うのも痛い…

着替えも痛い…

 

何をするのも痛くて気分は沈んだ。

 

リュウマチと診断されて4年。

すぐに薬を服用したので関節の変形は避けることができたが、服用の量が少ないのかもしれない、とインターネットで検索しながら感じた。

リュウマチに完治はないけれど、寛解という状態が続けば薬を飲まなくていい日が来るかもしれないと淡い期待を抱いていた。

 

今日は3ヶ月ぶりの定期診察日で、痛かったことを先生に訴えた。

 

薬を増やさないといけないか聞いたところ、私の場合は増やすと白血球が減少する恐れがあるから増やせないとの事で、違う薬を服用してみることになった。

今までの薬は週に一度の服用で良かったが、今回からは毎日服用。痛み止めも処方され、これは毎食後。結果、薬の量が増えてしまった。

 

薬を飲むのはなるべく避けたいけれど、痛みには耐えられない。

ひとまず一ヶ月服用して、様子を見ましょうと言われた。

 

さっそく夕食後から飲み始める。

 

リュウマチとは仲良く付き合っていくしかないとは思っているけれど、薬局で薬をもらう際に薬剤師さんが、知り合いにもリュウマチの人がいるが、仕事を辞めたら嘘のようにリュウマチが良くなった人がいて環境がすごく影響する病気だと言われた。

どんな病気もストレスは良くないだろうけど、

私もこの一年仕事がすごくストレスになっていて、それが影響しているのか…と考えた。

この一年ずっと辞めたくて、でも辞められず、

それもストレスになっていた。(過去形ではないな、‘いる’ だ。)

 

身体壊してまで仕事をする必要はない。

 

人生100年時代の折り返し地点。

元気で老後を迎えるには働き方を変えないといけないなぁ。

 

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8月は悲しい出来事が多くあった月に感じる。

最も2回の原子爆弾の投下が8月に集中していることも関係があるだろう。

 

6日は広島の原爆投下日。

一瞬にして焼け野原になって、人々の人生も一瞬にして狂ってしまった日。

 

9日は長崎の原爆投下日。

多くの人が犠牲になって、今も悲しみをひきずっている。

 

12日はJAL御巣鷹山へ墜落した日。

数百人の命が消えた… 

 

15日は終戦記念日

 

毎年、原爆の追悼記念式典の様子がテレビで放送されるけれど、実際に戦争を知っているお年寄りは「この式典も毎年見てるけど、だんだんと形骸化されてきた。」と言っているのを聞いて、戦後生まれの人々には戦争の悲惨さをどれだけ聞いても本当に知ることにはならないのだと感じた。地獄絵図のような状況を見てきた方々のその後のご苦労は計り知れない。

 

JALの墜落事故にしても然り。

突然の事故によって大事な人を奪われた悲惨さは当事者にしかわからない感情だろう。どのようにして絶望の淵から生活を立て直したのだろう…

 

事故にしても戦争にしても一瞬にしてその後の人生がガラリと変わってしまう。

 

小さな事に不満はあるけれど、本当に小さな事なのだろう。

家族が元気でいて、それなりの生活を営めている事はきっと幸せなのだろう。

 

いろいろなものに思いを巡らせて過ごす8月。

 

世界が平和でありますように。

 

 

 

 

 

父が歳をとって物忘れが増えてきた。

今のことはすぐに忘れるけれど、昔のことはよく覚えている。

 

父は海軍の兵隊さんになりたかったそうで、真っ白の制服を着て地元に帰ってきた兵隊さんを見てはあまりのカッコよさに震え上がった、とこの夏 泣きそうな表情で話してくれた。

 

(‘坂の上の雲’ でモッくんがとても凛々しい海軍の兵隊さんの役をしてるのを思い出して、本当にカッコよくてみんなの憧れの的だったんだろうな、と思った。今の時代、猛烈に憧れの念を抱く事って少なくなっているように思う…)

 

毎日が日曜日となり、仕事をしていた時のようなキリリとした表情はもはや見られなくなった。 

 

泣きそうな表情になる事は増えて、頑張っている若者の姿をテレビで見たり、幼子の姿を見たりすると途端に表情が崩れる。

これが感情失禁というものなのだろうか?

 

人は誰でも心の奥底に感情を秘めている。

その感情を表面に出す事は多分そう多くないだろう。それが蓄積されていくとある時に何かのきっかけで溢れ出す。

普段だと何でもない他人からの一言に涙がこぼれたり、きれいな音楽や、景色に感動して涙が出たり…

 

みんないろんなものを背負って生きていて、なおかつ生活に追われているからそうそう自分の感情に目を向ける暇などないのが現状だろう。

 

時々は自分とゆったり向き合って、自分自身をかまって故意に感情を吐き出す場を設けるといいのかもしれない。

 

泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑って、怒りたい時に怒って、楽しい時は思い切り楽しんで、そんな風に自然に生きられたらいいなぁ。

(こんな風に書いたけど怒りだけは遅く…と心掛けてます。)

 

すごく暑い日が続いていたけれど、今日はほぼひと月ぶりに雨が降って、その途端に急激に気温が下がってとても過ごしやすい日になった。

朝晩の風は秋を感じさせる。

季節はちゃんと巡っている。

 

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久しぶりにぐっすり眠れそう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言霊… 

言葉には魂が宿る。

思った事を軽々しく口にしてはいけない。

 

時代には相応しくない考えかもしれないけれど、言葉は慎重に選びたいと常々思っている。

 

人には、便利な言葉を与えられたけれど、それを本当に使いこなせているのかいつも疑問に思う。 

 

「ペンは剣よりも強い。」

本当にそう思う。 

 

だから、大切に言葉を扱いたい。

 

私の目標。

 

 

 

 友人のお父さんが5年前に胃ろうになり、施設に入って過ごしていたものの、先月末に高熱が出て病院に入院した。

施設では看取りをお願いしていたそうだが、苦しむ姿に耐えられず治療をお願いしたとの事。

 

栄養剤を流すと調子が悪くなるようで、水分のみ入っているらしく、痰は絡み、熱も下がらず、もうダメかと思いつつ、2週間程命を繋いでいる状態で、友人の精神状態もあまり良くない。

 

施設や病院からは状態の変化があると今後の確認をされるらしく、その選択が正しいのかいつも悩むと言う。

 

もう歳なのだから…と思いながらも目の前にいる父が苦しんでいると治療をしてほしい、と思ってしまうが、果たしてそれが最良の道なのか… ?  治療をすることによって尚、父を苦しめることになるのではないか…? 

 

人の命を自分の選択で終わらせることも永らえさせることもできる畏怖を彼女は常に感じてきたのだろう。

 

たとえ、延命はしないでほしい、と言う本人の意思があったとしても、やはり目の前の身内を前にして本人の意思を貫く選択ができるのか自信がないと言った。

 

人がこの世からいなくなる事の重み。

 

生きていくことの難しさ、辛さを年齢を重ねるごとに思う。

 

楽しい事はそんなに多くはないのに生きていくって何なんだろう。

 

病院からの呼び出しで久しぶりに会った彼女は帰って行った。

過酷な現実と向き合って、また悩む選択を迫られるのだろう。

 

かける言葉が見つからなかった…

 

彼女が選んだ選択をお父さんも許してくれますように… 

そして、彼女自身がその選択を後悔せずに精一杯の事をしたと思えますように…

 

 

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