私のつれづれ記

日々感じた事を思いつくままに綴っていきます。お立ち寄り下さりありがとうございます。

大事な来客の接客中だった。

 

隣に住んでいる義母は我が家の鍵を持っていて、とにかく時間構わずにやって来る。

愚痴を言いに来たり、夜ご飯の足しにとおかずを持って来てくれたり、体の調子が悪いと言いに来たり、来る内容はその時によってまちまちだ。

もう慣れてはいるが、その昔は夜中に掃除機を持ってきては、故障したから見てほしい、と言った。「えっ、今じゃなきゃダメ?」と心の中で思いつつも見ると故障ではなく使い方の問題… そんな事はザラにある。

 

来客中に突然入ってきて、初対面の人の前でお構いもなく「血便が二回も今日でた…」と血相を変えて言った。 心の中で私は「状況を見て話をしてよ!」と叫び、冷静に「今、お客さんがいらしてるから、用が済んでからにして下さい。」と言い、「どのくらいかかる? 」という義母に「とにかく後にしてほしい。」と帰ってもらった。

 

用事が済んで義母の元に行くと電話中ですぐに切った。「あんたを頼れないなら近くの医者から救急車を呼んで病院に行こうと思って…」といつも行っている町医者に状況を伝えていたようだった。医者からは明日の朝一番で来て診察し、状況次第では紹介状を書くから、との返事だったらしい。

 

血便が二回も出るなんてただ事じゃない。私はきっと大腸ガンだ。明日、すぐに入院になるだろうから入院準備もしなきゃならないし、こんな一大事の時にお客さんを優先して! 救急車で病院に行けばすぐに見てもらえるし、あんたがあてにならないから○○(息子の名)に電話して帰って来てもらおうか、と思ったり… とまったく自己中心的な事ばかり言い、うんざりしてしまった。

 

とりあえず、こんなに話せて元気なのに救急車を呼ぶのは迷惑だ、とだけ言って、何か食べたのか聞くと食べてないとの事だったので、おかゆを作って持って来ると帰ってきた。

 

お粥を作り持って行くと、明日の入院準備をしていた。 救急車を呼んで病院に行こうとしている人にしてはたいそう元気。

私の目からは大して重篤な状態には見えず、お粥を置き、食べて早めに寝るようにと告げ自宅に戻ってきた。

 

食事中電話が鳴り、出ると義母。

 

「お粥、硬くて食べられない」との事。

 

「硬い?私が味見をした時は柔らかかったけど…」

「年寄りは若い人と違って歯も弱いし、胃も腸も悪いって言ってるのに…」と文句ダラダラ。

「すみません。捨てて下さい。」と言うと電話は切れた。

 

何だか疲れる…

 

5年前に義父が亡くなってからすっかり義母は変わってしまった。

体調が悪い、と医者通いも増え、都合の悪いところを延々と話す。  そんなに都合が悪いのか、と心配になりこっそりと医者に会いに行き、義母の体の状態を尋ねたところ「いたって健康です。」と言われた。

 

どんな言葉も届かず、「年取ってみなきゃ私の気持ちはわからない。」と返される。

 

言いたい事はたくさんあるのに言い返しようがない。

年取ると自己中心的になるのかなぁ…

 

夫に電話し、状況説明し、結局、明日の受診を夫が仕事を休んで付き添うことになった。

義母、現在84歳。

年相応の物忘れはあるものの、認知症ではない。

 

自分が年寄りになった時にはこんな風に自己中心的になるんだろうか?

 

そうだったら嫌だなぁ。

そうなる前にスパッとこの世とおさらばしたい。

 

 

 

 

 

ペンは剣よりも強いって本当だと思う。

 

言葉の持つ不思議な力は、昔の人が「言霊」と呼んだほどなのだろう。

三浦 綾子さんの書籍の中で、物を盗まれても自殺する人はいないが、悪口を言われて自殺する人はいるのだから、悪口を言って捕まる事はないけれども、悪口を言う人の罪は重いと思う、というようなことを書いていらして、なるほどなぁ、と思ったものだ。

 

確かに何気ない一言に救われる事もあれば、ほんの些細な一言にがっくりと肩を落とすこともある。それほど言葉の力は強力だ。

 

SNSなどで自分の思いを自由に語れる今、もっと言葉に対して慎重に向き合わないといけないと感じる。 

 

桜田大臣の「がっかり」失言でのバッシング、

宇野選手の「無知だから発言する権利はない」と言った事への賞賛と 言葉一つでこれほどまでの差が出るのかと少し驚いている。

 

確かに自分の思いが言葉になるわけだから、話したと同時に絶対に消せなくなる。

思い浮かんだ言葉をすぐに話すのではなくて、よく吟味してコメントするべきだったと思う、桜田大臣! 

 

考えすぎると何も話せなくなるけど、でもせめて、その場に適した物いいかどうかは考えて発言したい。

 

そして、できるならポッと灯りのつくようなあたたかい言葉をなるべく話したい、と思う。

 

今日はいい言葉を発しただろうか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の心がモヤモヤしたまま年越しをしてしまった。モヤモヤしているのはかれこれ一年半に及ぶ。何にモヤモヤしているのか…

 

辞めたくても辞められない仕事に…

辞めたらいろいろ面倒な手続きをしなくちゃいけない事に…

辞めたら即収入が途絶える事に…

人生設計を立てていたのにそれが崩れてしまう事に…

本当のところ辞めたいのかも分からなくなってきた事に…

いつでも辞める覚悟がついた時に何故だか仕事が面白くなってきた事に…

 

人の心って複雑で、自分でも心の揺らぎを不思議に感じるし、どうしてそう感じるのか上手く説明もできない。

 

ただ最近思うことはいつも何かにしがみついて生きてきたけど、それらを簡単に手放した時にどうなるのかなってこと。

 

とっても不安だけど、とっても自由に生きられるのかなって思う。

でも私にとっては手放す事は勇気のいる事。

 

そこが一番のモヤモヤなのかもなぁ〜。

 

 

 

 

 

 

樹木希林さんの出演映画 ‘日日是好日’ を観てきた。‘万引き家族’ から一転してお茶の先生という役どころ。お着物姿もお似合いで演技というより地のように感じ、とても自然な演技に感嘆した。映画を観に来ていらっしゃる年代は少し高めであり、お茶を嗜んでおられる方が多かったのか、時折笑い転げるシーンもあったりして楽しく観た。

今は亡き希林さん… 映画を観てるととてもそんな風には思えず… 

映画界の大きな損失だとつくづく思った。

 

お茶と人の人生を絡めた映画で、今いろんな映画に引っ張りだこの黒木 華さんの成長をお茶を通して描いていて興味深く観た。季節でお点前も違い、日本家屋の素晴らしさも今更ながらに感じた。雪見障子からみえる庭や、つくばいに流れ落ちる水音。着物を着た足さばきの衣摺れの音。細やかなひとつひとつの音が際立っていた。

 

ほんの一昔前までの日本家屋は姿を消してしまった。我が家にも畳の部屋はないし、雪見障子もない。味気ないといえばそうかもしれない。

 

武田さんのような家にみんな住んでたのにガラリと変わってしまった。

良いとか悪いとかではないけれど、日本独特の良いものが失われるのは少し淋しい気がした。

 

 

約30年前、茶道や華道漬けの毎日を過ごしていた事がある。毎日、稽古、稽古…

上手く生けられなくて悩んだ時に、ちょっと触っただけで激変する先生の手を魔法だと思ったり、暑い夏の日も晒しを巻いて絽の着物を着て来られるお茶の先生に尊敬の眼差しを向けたり、四季折々の季節を肌で感じたり… 

今から思うと、とんでもなく優雅で優美な日々を送っていた。

京都の自然豊かな地に住み、朝は勤行に始まり夜は21時消灯の寮生活。

一年間の勤行で覚えた般若心経は今でも言える。若い脳ってすごいな!

初めてのたくさんの経験をして、今懐かしく思い出される。

 

 

先日はSCOOPというDVDを借りて観た。

2時間がすぐに過ぎてしまう程に引き込まれる映画だった。中年パパラッチの福山さんもカッコよかったし!

この世に存在するどんな人も ‘今’ を懸命に生きている。そんな風に感じる内容だった。

 

そして、今日NHKスペシャルで「イゾラド 最後のひとり」を興味深く観た。

ブラジルの山奥で発見された二人の男性。

誰にも分からない未知の言語で二人は会話し、いつも一緒にいたが6年前に一人は亡くなってしまう。言語学者がこの男性の発する言葉、800程の単語を探り当てたものの会話は成立しない。

誰にも思いを届けることが出来ず、分かち合うこともできないこの男性の胸中はどんなものだろう?  仲間もいなくなり、たった一人になってしまった気持ちはどんなだろう?

私には到底分からないが、複雑な思いで番組を観た。

この ‘アウラ’ と名付けられた男性もまた懸命に生きている。

 

一年間、毎週楽しみに観ていた大河ドラマが今日最終回を迎え、見終わった。

西郷どんも立派に生ききった!

 

‘生きる’ というキーワードが目にする全てのものに感じられる。

 

私はどのように生きようか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の20日美智子皇后が84歳を迎えられ、新聞では、お誕生日前より平成に入ってからの歩みが掲載されていた。

 

美しいお姿で、お優しいお心で、国民と接するお姿を拝見しては、心が慰められてきた。

今年は平成最後の年となり、来年以降は滅多にお二人のお姿を目にすることはなくなるだろう。

 

お誕生日に寄せて語られたお言葉の中に、「皇太子妃、皇后という立場を生きることは私にとり決して易しい道ではありませんでした。」という一文があり、民間から日本一の旧家に嫁がれ、美智子皇后のような方でさえも困難を感じる日々をお過ごしだったのだ、と改めて思いその中でも陛下と共に最善を尽くしてこられ、人々に勇気や励ましや希望を与え続けてこられた事は本当に私などが想像もできない厳しい60年だったのではないだろうかと思う。

 

 

1998年に国際児童図書評議会IBBYの基調講演 ‘子供時代の読書の思い出’ と題して美智子さまのスピーチがテレビで放送された。

ご自身の幼少時代の読書の思い出を語られながら本に対する思いを話されたように記憶している。

その何十分かの講演が終わった時にカメラに向かって優しく微笑まれた。

そのお顔を見た時に涙が出てきた。

どうして涙が出るのか自分でも不思議だったのだけれど、慈愛に満ちた眼差しで微笑まれた時、何かとてつもない優しさに包まれたような気分になった。

 

 

退位の後は陛下と共にのんびりとお過ごしになり長生きしていただきたいと願う。

 

f:id:asatime:20181028224142j:image

 

 

週末、泣きたくなるほどの両手首の痛さに悩まされた。

 

朝起きて布団をはぐるのも痛い…

歯磨き粉のチューブから歯ブラシにつける事もままならない…

トイレに入って下着の上げ下げも痛い…

顔を洗うのも痛い…

着替えも痛い…

 

何をするのも痛くて気分は沈んだ。

 

リュウマチと診断されて4年。

すぐに薬を服用したので関節の変形は避けることができたが、服用の量が少ないのかもしれない、とインターネットで検索しながら感じた。

リュウマチに完治はないけれど、寛解という状態が続けば薬を飲まなくていい日が来るかもしれないと淡い期待を抱いていた。

 

今日は3ヶ月ぶりの定期診察日で、痛かったことを先生に訴えた。

 

薬を増やさないといけないか聞いたところ、私の場合は増やすと白血球が減少する恐れがあるから増やせないとの事で、違う薬を服用してみることになった。

今までの薬は週に一度の服用で良かったが、今回からは毎日服用。痛み止めも処方され、これは毎食後。結果、薬の量が増えてしまった。

 

薬を飲むのはなるべく避けたいけれど、痛みには耐えられない。

ひとまず一ヶ月服用して、様子を見ましょうと言われた。

 

さっそく夕食後から飲み始める。

 

リュウマチとは仲良く付き合っていくしかないとは思っているけれど、薬局で薬をもらう際に薬剤師さんが、知り合いにもリュウマチの人がいるが、仕事を辞めたら嘘のようにリュウマチが良くなった人がいて環境がすごく影響する病気だと言われた。

どんな病気もストレスは良くないだろうけど、

私もこの一年仕事がすごくストレスになっていて、それが影響しているのか…と考えた。

この一年ずっと辞めたくて、でも辞められず、

それもストレスになっていた。(過去形ではないな、‘いる’ だ。)

 

身体壊してまで仕事をする必要はない。

 

人生100年時代の折り返し地点。

元気で老後を迎えるには働き方を変えないといけないなぁ。

 

f:id:asatime:20181003223954j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月は悲しい出来事が多くあった月に感じる。

最も2回の原子爆弾の投下が8月に集中していることも関係があるだろう。

 

6日は広島の原爆投下日。

一瞬にして焼け野原になって、人々の人生も一瞬にして狂ってしまった日。

 

9日は長崎の原爆投下日。

多くの人が犠牲になって、今も悲しみをひきずっている。

 

12日はJAL御巣鷹山へ墜落した日。

数百人の命が消えた… 

 

15日は終戦記念日

 

毎年、原爆の追悼記念式典の様子がテレビで放送されるけれど、実際に戦争を知っているお年寄りは「この式典も毎年見てるけど、だんだんと形骸化されてきた。」と言っているのを聞いて、戦後生まれの人々には戦争の悲惨さをどれだけ聞いても本当に知ることにはならないのだと感じた。地獄絵図のような状況を見てきた方々のその後のご苦労は計り知れない。

 

JALの墜落事故にしても然り。

突然の事故によって大事な人を奪われた悲惨さは当事者にしかわからない感情だろう。どのようにして絶望の淵から生活を立て直したのだろう…

 

事故にしても戦争にしても一瞬にしてその後の人生がガラリと変わってしまう。

 

小さな事に不満はあるけれど、本当に小さな事なのだろう。

家族が元気でいて、それなりの生活を営めている事はきっと幸せなのだろう。

 

いろいろなものに思いを巡らせて過ごす8月。

 

世界が平和でありますように。