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人の一生って何だろう?と思う。
3日前の夜に隣の家に救急車が止まった。サイレンを鳴らさずに来たのでまったく気づかなかったが、たまたま外にいた子どもが知らせてくれた。救急車に運ばれる際はブルーシートで隠されていたそうだが、子どもが隠されていない側にいた為に様子が見えたらしく、ぐったりとした状態で腹部には直接布団がかからないようにする器具(?)が付いていたとのこと。
私が外に出た時にはもう走り出すところであった。
お隣さんとは、と言うか近所の方々とはほとんどお付き合いがない。会えば挨拶をする程度。
子どもが言うには年寄りに見えたというが、お隣には年寄りがいる事はいるがまだ働きに行っておられ元気である。誰が運ばれたのか気になった。
救急車が行ってから2時間後に隣の家に警察が来ていた。そして、その後すぐに我が家にも聞き込みに来た。
隣の娘さんが亡くなった、と言い、最後に見かけたのはいつか? 喧嘩や争い事のような物音、声がしていなかったか? と質問された。
知っている全てのことを話して、最後に私のフルネーム、住所、生年月日、電話番号、携帯番号を聞かれた。
不審死だったのだろうか?
昨日、お通夜があった。
独身の彼女は家計を支える為に二つの仕事を掛け持ちしていたという。
体が弱く働くことの出来ないお兄さんを抱え、働いてはいるものの80に手が届くか、という歳の母親を抱え、自分が頑張らないと!と思っていたのかもしれない。
年老いた母と病弱な兄を残して逝った彼女…
何ともやるせない思いになった。
喪主の挨拶の時、年老いた母は死因については一切触れなかった。
想像するに、発見された時は既に息絶えていたのだろう。過労死なのかもしれない。
いくつで亡くなっても ‘死’ とは寂しさを残すものだけれど、若い人の死はその寂しさが一層増す。
参列者の若い人達は職場の同僚だった人なのか、号泣していた。
合掌。